【吉田屋の歴史】
始祖・芳沢権太郎(藤原直弼)までは、代々奥州平泉藤原氏の納戸役をもって支えた家臣だった。しかし、藤原氏の滅亡後は永い年月源氏の目をかすめ転々と住を替え、黒川郡吉田の里に隠れ棲み、旧くは農業をして暮らしていたと推察されている。
五代・正九郎は元和(370年位前)年代に吉田芳の沢から現在の大和町吉岡(当時の今村)に移り住んだが、時の地頭・奥山大学から同氏が元武士であったことを察知され、十手補縄を与えられて領内の警備と治安維持の任に就かされた。そして、そのかたわら濁酒醸造販売をも行ったものである。
六代目より「吉田」と改姓し、十手を返上して酒類醸造を本業とし、味噌と醤油もあわせて醸造するにいたる。 大正時代には全国醤油鑑評会に入賞した記録も残されている。
大正中期に、吉岡町内六軒の造酒屋のうち五軒にて「吉岡酒造 株式会社」なる酒造会社を設立。 酒造業は同社に一切ゆだねることとし、昭和3年3月から吉田屋として味噌醤油醸造業販売を一本化し、昭和27年7月まで継続。 昭和27年8月からは「株式会社 吉田屋」と法人に切り替え、現在に至っている。 |